興禅寺(だるま寺)
興禅寺(だるま寺)

興禅寺は、臨済宗妙心寺派に属する寺院で、聖観世音菩薩立像<町指定文化財>をはじめ、興禅寺文書と呼ばれる古文書類が百点余りあり、この他多くの町指定文化財を有しています。庭園も回遊式ですばらしいです。下記の写真は1973年に建立された日本一の白いだるま座像です。これは、全国だるま八名刹に指定され、別名「だるま寺」と呼ばれています。
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興禅寺の文字が確認できる。

日本一のだるま像。

境内の雰囲気も風情が漂っていた。

屋根の上にも歴史が感じられます。

だるま大師
 だるま様は、今から約千五百年程前に、インドから中国に禅の教えを伝えた祖師であります。
 だるま様といえば、ユーモラスな張り子の置物などで広く親しまれていますが、私どもに「七転び八起き」の言葉通り、くじけず辛抱すれば必ず報われるという、不撓不屈の精神を授けて下さる尊いお祖師様であります。
 また、だるま様は百五十才まで長生きをされたお方です。
 長生きにあやかって下さい。

瓦には獅子のような鴟尾がある。

鴟  尾(し び)
 鴟尾は、建物の大棟の両端を強く反り上がらせるところに起源があると考えられています。中国漢代の墓に副葬されているミニチュアの建物にはすでに鴟尾が表現されています。
 わが国では飛鳥時代からすでに鴟尾が作られており、飛鳥寺から古いタイプのものが出土しています。山田寺や和田廃寺には、胴部に羽根形の文様をもつものが作られております。よく知られたものに法隆寺玉虫厨子金銅製鴟尾があります。
 白鳳時代の鴟尾には胴部に珠文帯を設けたり、腹部に蓮華文を飾ったり装飾性が豊かなものとなります。
 奈良時代の鴟尾は史料に「沓形」と見えますように、奈良時代の貴族たちがはいた沓に似た形になります。唐招提寺金堂大棟西端の鴟尾が典型的なものです。伝世された奈良時代の鴟尾としては唯一のものです。奈良時代には瓦製の鴟尾があまり作られなかったものか、出土例は多くありません。史料に金胴製鴟尾のことがいくつか見えますので、焼き物よりそのようなものが作られたのでしょう。
 平安時代には緑紬の鴟尾が作られたりしますが、あまり多くは作られなかったようです。
 中世になると魚形に変化して鯱になります。建物を火災から守るために水に関わる想像上の海獣を屋根にのせるようになったのでしょう。戦国時代になりますと、鯱はとくに城郭建築に使われるようになります。
花祭り
 四月八日、釈迦の誕生日に寺院等で行なう儀式。
 関西では、一ヶ月遅れの五月八日に行なっている所もあり、興禅寺も同様である。
 佛生會(ぶっしょうえ)では、花御堂と呼ばれ、灌佛(かんぶつ)を行なうために作られる小さな御堂があり、主にお寺の本堂入口、山門などに設けられる。屋根は色々な花で美しく飾られ、御堂の中に浴佛盆(小盤)を置き、まん中に右手を高く上げた半裸の釈迦童子の像を安置し、小さな杓を添えて甘茶をかけてお祝いします。
 
甘茶をかけるのは、お釈迦さまの誕生の際に産湯として使われたからです。この甘茶をお参りにきた人達が頂いて帰りました。飲むだけでなく、甘茶で墨をすり清書をすれば字が上達すると言われたり、虫除けの「まじない」として使われました。

本堂横にある“ほてい像”。

本堂。

歴史ある“知足庵”。

風情ある石段。

きれいに花か供えられています。

年中きれいな庭園(天真園)。

円形の門。

癒しの音“水琴窟”。

だるま様。

花祭りが行なわれる御堂の中。

まん中には右手を高く上げた釈迦童子の像が。

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