【慧空庵】 |
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貞享年間に二十年の長い年月に亘り、大般若経六百巻(字数にて六十億四万字)の筆写を成就した僧・慧空さんをたたえ祀っている。 岩田立平の山中の奥の院という処にあって、現在は墓石を祀る祠が残っている。三宝寺に属している。 上富田町における貴重な文化財の中でも末代までの誇りの一つである。 現在の慧空庵では、地蔵尊が祀られており、五月と八月の地蔵盆にご開帳がある。 『上記については、三宝寺の住職さんにお話を伺い教えていただいものです。』 |
【寒念仏供養塔(現慧空庵)】 |
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寒念仏は元来僧侶の修行の一つ。 寒中三十日の間、山野に出て、声高く念仏を唱える行であった。春秋の快適な時節に行うより、寒の厳しい寒さの中の念仏行の方が功徳が大きいと信じられていた。 この供養塔は、天明七年(1787)に唯心という天台の持津僧が建立。金剛界大日如来で、真言宗では最高の仏として寺院の本尊とされる大日如来を、天台僧が用いていることは興味深い。 |
【井戸跡の説明】 |
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奥の院の側に般若水と呼ぶ書写用の井戸があった。現在は水も枯れ埋められていた。 般若水は昔から稲の害虫とかイラ除け(稲の病気)にこの水を注ぐと不思議によく効くと言われ、この水をたばりにくる人が昔はよく見受けられた。 『上記については、三宝寺の住職さんにお話を伺い教えていただいものです。』 |
現在の慧空庵。
立平の路地左の坂を上ると慧空庵がある。
坂を上って右側に慧空庵ある。
坂の途中から。
境内に入ると六地蔵がある。
向こう側には蛇喰城跡が見える。
左側の祠は寒念仏供養塔が祀られている。
寒念仏供養塔が祀られている祠のアップ。
祠のアップ。
寒念仏供養塔のアップ。
右側の祠には石碑が祀られている。
旧慧空庵。
熊野高校グラウンド裏から旧慧空庵へ。
耳の病に効くと云われている籐次郎地蔵の前に供えられている穴の開いた石。
今では完全に埋められている般若水の井戸跡。
民家の間を上って行く。
ここから傾斜がきつくなる。
もう少し行くと広場がある。
ここから徒歩で旧慧空庵へ向かう。
竹藪の向こう側が旧慧空庵がある。
竹藪の右側に細い道が続いている。
道も荒れて危険な所も・・・。
舗装もなくなり山道になる。
木立の中を進んで行く。
写真中央に祠が見えてきた。
木々に守られているかのように祠が鎮座している。
慧空の墓が祀られている祠。(旧慧空庵)
境内は意外と広く整えられていた。
祠の右に大きな石が祀られている。
右側の石のアップ。
祠周辺の竹藪。
般若水の井戸跡の周辺。
石垣も見受けられ、かつての慧空庵の存在を示すのか?。
木々が幻想的な空間をかもし出している。
祠横の石のアップ。
いにしえの時間が流れているかのようだ。