円鏡寺
 朝来字馬川の円鏡寺は永智山と号し、臨済宗妙心寺派の寺院である。
 当寺の創建は天文五年(1536)南嶺和尚によって開かれたが、当初は現在位置の東方五〇〇メートルほどはなれた寺山におかれていた。規模もはるかに小さく檜肌葺きであったという。元禄十四年(1701)に至って鉄翁和尚の手によって現在地に遷され、木造瓦葺きの堂々たる伽I藍が整備された(『上富田社寺史稿』)と記されていて、上富田町域では数少ない古い伝承をもつ寺院であるが、古文書などの史料が失われているため、その歴史を明らかにすることができず惜しまれる。
 天文五年の南嶺和尚による開基はわからないが、同寺にある天明五年(1785)銘の棟札(本編第三章・第二節寺院の棟札参照)に「永智山円鏡寺仏殿往昔元禄十四年辛巳之頃鉄翁祖元禅師造立繭後経八十五年之星霜(以下略)」とあり、また昭和四十一年本堂を改築したとき、屋根瓦銘に「永智山圓鏡寺」「元禄十五壬牛歳 孟春仲句」「田辺古町住 瓦師寺島吟八郎」「朝来金権七田の土て此瓦焼」(本編第三章・第三節屋瓦を参照)などの資料から、当寺は元禄十五年(1702)の再興であるといえよう。

 境内は南面し、石段上の鐘楼門をくぐると正面に鉄筋コンクリート造りの本堂、向かって左側に観音堂があり、本堂の右側は庫裡で、廊下でつながっている。本尊は薬師如来坐像。

 観音堂の南側は無縁墓地であるが、その西側に石塔や石碑が整然と並んでいる。
 古いものは、本堂裏山の墓地に置かれている西国三十三所順礼塔で、享保四年(1719)のものである。
 なお、本堂の西側、墓地に登る入り口の右側に、歴代住職の墓塔、明治洪水富田川災害記の石碑・水道塔がある。

               「上富田町史 史料編下二より」
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朝来の旧道を入ると中国の寺院のような鐘楼門が目に入ってくる。

義民三兵衛由来記の立て札。

石段を登ると鐘楼門がある。

鐘楼門から見た本堂。

本堂の右側の植え込みに巨大な石製の木魚がある。

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