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 2006年度 和歌山地域生活支援フォーラム

 辻 博文です。
 まず、私は、この様なたくさんの皆様の前で話をするのは、正直、あまり得意ではありません。ですので、緊張をして頭が真っ白になってはいけないと思い、今日は原稿を読みながら話をさせていただきます。お聞き苦しい点もあるかと思いますが、どうぞお許し下さい。

 このシンポジウムのテーマは、「夢もっていこら 元気出していこら ガンバッテいこら!」という事ですが、現在「頑張っている人」がスピーチをするという事であれば、私は、それにふさわしい人間ではありません。逆に「もっともっと頑張っていかなアカン!」と思っています。

 今回、このお話をいただいた際も、「どうしようかな?」ととても悩みました。でも、こんなに多くの皆様の前で話をさせていただく機会もないでしょうし、私にとっては良い経験になるのでは?と思い参加させてもらいました。皆様にとりましては、退屈な時間だと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

 私は、高校3年生の時にケガをして、それ以来、車いす生活を送る事になりました。それまでは、テニス一筋!でして。中学校・高校へは、勉強をするのではなくテニスをするために学校へ行っていた感じです。お陰で!というか、運よく高校の時には、インターハイや国体にも出場させてもらいました。そのインターハイで、現在、テレビなどで活躍されている松岡修造選手と対戦した事が、今でも私の自慢です。

 受傷後、一番辛かったのは、「もうテニスが出来なくなる。」と思った事です。当時の私の夢は、プロになってウインブルドンに出場する事でしたので、正直、かなり落ち込みました。少し自慢も入りますが、高校時代は「県内に敵なし」と言われていましたし、すでに大学も内定していました。先程、夢と言いましたが、私は、真剣に!本気でプロになろうと思っていましたので、「挑戦する事さえできずに、夢がつぶれた」という感じで、余計にそのショックは大きかったです。

 だから、「指が動かない、足が動かない、そして車いすでの生活になる」というショックや不安感よりも、とにかく「もうテニスが出来ない」という失望感の方が強かったです。

 でも、立ち直りは、早かったです。はじめは、「テニスは出来やんし、車いすやし、これからどうしようかな?」と悩んでいました。立ち直りのきっかけは、単純なものでした。半年間、神奈川県のリハビリセンターに入院していたのですが、そこで、同じ様な障害を持つ同世代の人達と出会い、影響を受けたからです。彼らが、「退院したら僕は高校に戻る。僕は大学に。僕は会社に戻る。」と当然の様に話をしていたのです。単純な私は、「そうか〜、車いすでも大丈夫なんや。それだったら僕も高校に戻ろうかな」。そんな軽い感じで、「高校に復学して卒業する」という事をとりあえずの目標にしました。(ちなみに、彼らとは、現在もメール等で連絡を取り合っています)

 実際、そんなに簡単ではありませんでしたが、受傷して1年半後に、なんとか高校に復学をする事ができました。その時も、勉強が目的という訳ではなく、「新しい友達が出来れば良いな〜!」という様な気持ちや、「今の自分の姿、車いす姿を、人に見られる事に慣れよう」という考えを持って復学をしました。高校に復学をした事で、精神的に少し強くなれたのでは?と思っています。

 高校を卒業後、テニスに代わる、何かやりがいのある事を見付けたい。そういう思いで大学に進学をしましたが、簡単に見付ける事はできませんでした。大学での一番の思い出は、母校で教育実習をさせてもらった事です。実習とはいえ、勉強をしてこなかった私が、後輩たちに授業をするという事には少し抵抗がありましたが、結果的には大変有意義な時間を過ごさせてもらいました。

 その後、在宅で生活を送っていましたが、約5年前に、家庭の事情により、身体障害者療護施設「牟婁あゆみ園」でお世話になる事になりました。
 牟婁あゆみ園に入所。それは、私にとって大きな転機となりました。神奈川で一緒にリハビリをした仲間を除くと、それまで、自分以外の障害者の方と接する機会があまりにも少なかったのです。ですが、あゆみ園で、さまざまな障害を持つ方や、障害者をサポートする方々と出会い、皆さんの色々な考えや意見を聞く事ができ、とても刺激を受けました。その中の一つが「地域での生活・地域移行」という事でした。

 皆さんの話を聞き、私も、ぼんやりとですが、地域移行について常に意識する様になりました。そして、少しずつ具体的にどうしたら良いのか?考え始めていました。和歌山市の方に相談した事もありました。そんな時に、グループホームの話が舞い込んで来たのです。「今しかない、この機会を逃したらアカン!」と、私の決意はすぐに固まりました。

 現在は、和歌山県と上富田町、そして和歌山県福祉事業団のご支援を受け、「牟婁あゆみ園」近くのアパートをお借りし、身体障害者のグループホームとして新たな生活を送っています。当初は、「あゆみ園に居てくれた方が安心する」と言って反対をしていた両親も、私の頑固さに負け、今では諸手を挙げて応援してくれています。

 私の場合、地域で生活を送りたいという思いと共に、仕事をしたい・働きたいという強い気持ちがありました。そこで、心強いアドバイザーのもと、グループホームのメンバーと共に、『岩田わいわいネット』と名付けたサイト(ホームページ)を立ち上げました。そのサイト内に「支援者の皆様」というコーナーを設け、皆様の広告やPR等の場としてご利用頂くことにより掲載料を頂いています。

 また、岩田わいわいネットでは、上富田町の文化や自然、人々の暮らしなどを、私たち独自の車いす視点でレポートし発信しています。そのため、単なる在宅ワークとは違い、取材などを通して地域の方々とふれあう機会が多く、地域に溶け込みやすいのでは?と思っています。でも、まだまだ知名度の低い「岩田わいわいネット」ですので、取材の時に「なんチャンネル?なに新聞?」などと聞かれた事もあります。ですから、「もっともっと頑張っていかなアカン!」。そして、岩田わいわいネットを通じて、少しでも地域に貢献できればと考えています。

 今日、この会場に来られている皆様、是非、一度、『岩田わいわいネット』をご覧いただけます様お願い致します。また、私たちの活動をご理解頂き、先程の「支援者の皆様」のコーナーにご登録を頂ければ幸いです。皆様、どうぞよろしくお願い致します。詳細は、資料の方にありますので、ご覧下さい。(岩田わいわいネットの宣伝はこれくらいにしまして)

 現在、私は、地域で生活を送り、岩田わいわいネット以外にも幾つかの仕事をさせてもらい、充実した毎日を送っています。これも全て周りの人達のお陰です。たくさんの人に支えられ、私は、本当に恵まれています。この場をおかりしまして、(名前を挙げると切りがありませんので)、とにかく、私を支えてくれている全ての皆様、本当にありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。

 この原稿を書いていて、思ったのですが、障害を持たれている全ての方が、「自分は、周りの人に恵まめれている」。そう思えるようになれば、最近、良く耳にする「心のバリアフリー」という言葉など必要なくなるのではないでしょうか。そうなる事を心より望んでいます。

 最後に、身体障害者のグループホーム事業を、国の制度として位置づけをしてもらいたい。また、その事を、国に対して和歌山県からも働きかけをしてもらいたい。と思っています。

 以上で、私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。
 2月24日に和歌山市の和歌山県勤労福祉会館プラザホープに於いて「2006年度 和歌山地域生活支援フォーラム」(主催:和歌山障害者地域生活支援協議会)が催され、NAめら ZEROのメンバーで、Gこと、辻 博文が シンポジウムのテーマ:「夢もっていこら 元気出していこら ガンバッテいこら」でスピーチして来ましたので、お伝えしたいと思います。

下記の文は原文です。
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