彦五郎堤防
 彦五郎堤防は富田川の右岸に位置し、岩田・朝来・生馬の三地区にま たがり、約一キロにおよぶ長大な堤防である。

 むかしの富田川は、名代の暴れ川で、築いても築いても欠壊する堤防に 、人々はほとほと手を焼いていた。このとき、すすんで人柱に立とうと言いだしたのが彦五郎で、この人柱のおかげでその後富田川には災害が起こらなかったという。これが、彦五郎堤防の名のゆわれである。しかし、明治二十二 年の大水害には、さしものこの堤防も各所で欠壊して大惨害をもたらした。 富田川の全水死者五六五名に及び、この彦五郎堤欠壊による犠牲者が 少なくなかった。いま、堤防上に四基の石塔が建っている。一基は人柱彦 五郎顕彰碑、一基は明治洪水招魂碑、他は明治水害復旧記の碑石で 、今一つはこの富田川の治水と彦五郎堤防顕彰に半生をささげた、上田万一の頌徳碑である。

 この川はその後の復旧と治水工事とにより、堤防はより強固になり、再び 明治の惨禍をくりかえさないだろう。また堤上には桜も植えられ、春は野辺の草つみ、夏はホタル、秋は観月の場と、町民のいこいの場としても絶好で、 彦五郎堤防存在は大きい。

                    「上富田町史 史料編下より」
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彦五郎公園と整備された。彦五郎堤防。

彦五郎公園。僕らが好きな風景の一つです。

彦五郎人柱之碑。昭和三十九年五月に建立。

春には桜が咲きとても美しい場所です。

溺死招魂碑。明治二十四年八月中旬建立。

西牟婁郡復旧記。明治二十四年八月中旬建立。

西牟婁郡復旧記の裏側。

上田萬一翁頌徳碑。昭和四十七年八月十九日建立。

秀太郎の歌碑。

彦五郎の由来を綴った碑石。

彦五郎公園碑石。

人柱の由来。

● 桜並木がとても綺麗な彦五郎公園。 ここからは、その桜の風景です。 ●

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