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檪原神社
檪原神社

 当社は朝来地区の産士神で、JR朝来駅前から国道42号を横断し旧 道沿いに真直ぐ延びた商店街を通りすぎた左側に鳥居が見え、坂道を10 メートルほど登った丘の中腹境内に鎮座している。拝殿・本堂は西向きで
丘を背にしている。

 当社は明治41年(1908)の神社合祀令(神社合祀勧奨)で、はじめ岩崎神社に字宮四社、金屋の諏訪神社、下村の梅田神社、峠の厳島 神社(旧弁財天社)、岩崎の大神宮社(旧若一王子社)を合祀させたが、大正2年(1913)に現在地に移転し、社名を旧庄名に因んで檪原神社 と命名、現社名になった。なおこのとき合祀もれの小社・野田の八幡神社 、鳶野の日隅神社、愛宕神社、虫逐神社も合わせ祀られた。

 境内には神社合祀の際岩崎大神宮社より移された、宝暦11年(1761)と明和6年(1769)の岩崎村獅子組の神燈がある。(なお現在も岩崎 大神宮社跡には寛政3年(1791)の獅子舞講中寄進の手洗鉢もあり、 町域内で獅子舞講等の資料として貴重である。)これらの石造物は江戸 時代の灯篭4基を除くほかは、大正時代以降のものであり古い江戸時代 の石造物は砂岩質で剃落し新しく花崗岩で造立している。現在当社で最 も古い石造物は宝暦2年(1752)の灯篭である。
 拝殿の右側には大正6年(1917)に造立された忠魂碑がある。


            「上富田町史 史料編下二より」

旧道から見た檪原神社の鳥居。

急な坂道を登ると境内へ。

境内から見た鳥居。

上の鳥居から下の鳥居を見ると、かなり急斜面でした。

鳥居側から見た拝殿。

拝殿の正面。

拝殿側から見た境内。

拝礼殿の右側にある忠魂碑

境内の奥にある納礼所。

納礼所のアップ。

百度石。

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