美味しそうなタイトルに惹かれて読み出していただいた方には申し訳ないが、これはそんな期待に応えられるような話ではないんだ。


 23年前の1月末の事。僕はそれまでにも自分の左の睾丸が下腹部にあることは、分かっていた。本当なら、睾丸は、子供の内に下腹部から、下りておかないといけない物だ。でも、僕の場合は、下り切ってなく、痛みもそれまでは全く無かった。


 ある日の朝、目が覚めたら、左下腹部が痛み始めた。最初、痛みはそれほどでもなかったが、時間が経つにつれ、激しくなってきた。

 母親に付き添ってもらって、隣町の診療所へタクシーで行き、医者に診てもらったが、「よく分からないので、別の病院で診てもらって下さい」と言われた。鎮痛剤を貰い、一旦自宅に戻り、一日おいて市立病院へ行くことになった。

 その日は、1月31日で朝から雪が舞う寒い日だった。下腹部の痛みは、鎮痛剤で押さえていたから、もうあまり痛まなかった。僕のすぐ下の弟の運転で、母親に付き添ってもらい病院まで行った。


 午前中に医者の診察を受けた。その結果、睾丸を片方摘出しなければならない事になった。その後、即入院、即手術の運びになった。僕は、手術をするのはこれが初めてだったから、緊張と不安が入り混じっていた。仕方が無く、僕は覚悟を決めた。


 手術は、午後2時から始まった。手術は、全身麻酔と輸血を受けながら行われた。麻酔を吸い込み、薄れていく意識の中で「これが、全身麻酔か?」とぼんやり思った。

手術は無事に終わり、意識も次第に戻り、人の話し声も聞えてきた。「この患者さんの睾丸は、悪性の物かも知れんから、調べよう。」と言う僕の担当医の言葉だった。その話を聞いて「僕の命も長くないかな」と思ってしまった。それから又、意識が遠くなり、次に気が付いたら、病室だった。


 その病室は、個室だったが古い建物で、薄暗く窓ガラスに風が当たると、風圧で窓ガラスが割れそうなくらい、薄くてガタガタと音をする病室だった。


 翌日の朝、たまたま持っていっていたラジオから、好きだった落語家の訃報が流れてきた。僕は「いい人は、早く亡くなるなぁ」などとぼんやりと考えていた。自分の体調に不安を覚えてしまい、死というものを、すごく身近に感じていた。


 手術から一週間、その日は、晴れていた。幸いな事に経過は良好で、摘出した睾丸は悪性の物では無いとの診断が出た。家族も僕も、緊張が解けてホッと胸を撫で下ろした。そして暗かった家族の雰囲気も、一転して明るいものになった。


 手術から十日、個室から相部屋へ移動すると言う事で、僕も新館の病室へ移った。新しい病室は、2階の二人部屋で、それまで入っていた病室とは違って、明るい間取りだった。


 僕と同室になった人は、74歳の老人で、末期の肝硬変を患っていて、意識も殆ど無かった。老人には、娘夫婦が付き添っていたが、殆ど老人の世話は、娘がしていた。老人の家族は、娘夫婦と一匹の犬で、明るそうな家族に見えた。


 老人は、いつも右手にクランチチョコレートを持たされていた。意識も殆ど無いような老人が食べられそうにもないものを持っている事を不思議に思った。後に、娘さんにその理由を尋ねた。奇跡的にでも、父親の意識が戻った時に食べて欲しい。そんな願いからだそうだ。それでも僕には、とても奇異な光景に思えた。


 僕は、この病室を移ってから、気持ちにも身体にも余裕が出来て、退院する日まで冗談ばかりを言っていた。まあ、余りにも退屈だったし、病室の暗い空気を変えたかったからで、同室の老人の家族とも、すぐに親しくなった。そして、普段よりずっとよく笑ったように思う。


 手術から2週間が経ち、下腹部を縫った後の抜糸をする日になった。僕は、抜糸をする時、かなり緊張していた。看護婦さんが鋏を下腹部に当てた時、余りの緊張で腹部全体をビクビクと動かしてしまった。看護婦さんは、「じっとして!」と僕に言って、下腹部の糸を切り進めた。抜糸は、すぐに終わった。抜糸が終わると僕は、脱力感を覚えた。その頃、隣の老人は、エコー検査で肝臓を調べていた。意識は無いが、病気と闘っている老人の姿。心配そうに見守る娘。その検査の様子を見ながら、僕は心の中で「お爺さん、頑張れ!」と叫んでいた。


 僕の記憶では、老人は殆ど食事をしてなく、点滴注射で栄養を取っていたように思う。ただ、たまに老人の娘が、茹でたほうれん草などを、すり鉢でよく擦って、やさしく食べさせていた。


 僕はやさしい娘と老人の日々の光景を見ながら、「こんな家族が理想だなぁ」「こんな家族みたいに良い家族になりたい」などと思っていた。
入院、闘病生活の中だったが、穏やかな時間がとてもやさしく流れていた。


 それからこんな事もあった、それは、老人の娘婿が、飼っている犬を僕に見せようと、病室まで連れてきてくれた。まだ子犬で牡の雑種で茶色の毛に覆われて、おとなしい犬だった。僕が、犬が好きだと話したので、わざわざ子犬を病室に連れてきてくれたのだった。子犬は、僕に好意を示してくれているかのように、ずっと僕の手をペロペロと舐めて戯れていた。僕も周りで見ていた人も、笑い声が絶えない一時を過ごした。


 やがて時は過ぎ、僕は退院する事になった。入院から18日目の事。空は晴れていたが、寒い日だった。


 その日は、いつものように起きて朝食を食べ終えたところに、僕の担当医と看護婦さんが病室へ入ってきた。担当医は母に、「息子さんの手術後の経過も良いし、退院しても宜しいですよ」と言った。母は、「ありがとうございました」と、とてもうれしそうにお礼を言っていた。
僕は、「やっと家へ帰れる」と思うと同時に、「隣のお爺さんも、早く回復して欲しいな」と、少し申し訳ない気持ちで思った。


 それから、そのあと母は、病院の公衆電話に行き、迎えを頼んだ。母が持ってきた荷物の整理をしている最中に、僕は、隣のベッドの老人に付き添っていた、老人の娘と別れの挨拶をしていた。


 その中で、娘さんから老人がずっと握っていたクランチチョコレートを、僕に貰ってほしいと言ってきた。最初は断ったのだが、どうしてもということなので、僕は戸惑いながらも譲り受けた。そのクランチチョコレートの箱は、老人がずっと握り締めていたので、箱の外も中も潰れて変形していた。チョコレートを渡される時、老人と握手をした。その手は、氷のように冷たい手だった。僕はその時、「この人の命は、長くは無いな」と、そんなことを考えてしまった。


 僕たちは名残惜しいような、早くすませてしまいたいような、そんな不思議な時間を共有していた。やがて、退院の荷造りが済んで、迎えの車が来た。僕の手には、あの老人から貰ったクランチチョコレートの箱があった。


 以上で18日間の入院生活が終わり、僕は家路に着いた。その後、相部屋になった老人は、この年の3月に亡くなってしまったそうだ。娘夫婦もそれから2年のちに、離婚したと風の便りに聞いた。例のクランチチョコレートの箱は、あのあと捨ててしまった。とても古くて、食べられなかったから。


 なんか、寂しげな話になってしまったけど。この頃、何故かあの時の事をよく思い出すんだ。束の間だったけれど、死をとても身近に感じたこと。みんなの笑顔と優しさ。出会い、別れ…。


 老人の握っていた、あのクランチチョコレートとともに。
【老人と僕とクランチチョコレート】
Copyright (C) 2006 IwadaWaiwainet NameraZero All Rights Reserved
inserted by FC2 system