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白滝のお大師さん(生馬)
白滝の弘法大師は、白滝・中根町内会の信者で、毎月21日輪番によって世話をし祀られているが、殊に昔、盆の8月21日の縁日には、「生馬お大師さんの角力」と呼ばれて、裏山のちょうどすり鉢状の形になっている松林を、特設土俵場に設営して、界隈の力士を集めて盛大な草角力大会が催された。しかしこれも昭和初年ごろまで続いてやまった。
このほか生馬には、生馬口の弘法大師、山王日吉神社及び下生馬(本郷)、鳥渕観音の森にそれぞれ祀られている。

参考文献 上富田町史 史料編下

白滝バス停(コミニュティー)近くの民家の間の細い路地を入って行くと、
お大師さんに登る石段がある。

左側写真の街灯と木の間を入ると石段が見えてきます。

石段を登ると写真のような道が続いています。

お大師さんへは、かなり長い道のり。

途中にある「みちわけ地蔵」さん。

この石段からお堂が見えてきます。

お堂正面。

手洗い場。

お堂の右側から風景。

入り口から見たお堂。

お堂の左側から風景。

入り口から見た石垣。

この最後の石段を登ると境内へ。

地元の人達に親しまれている白滝のお大師さん。

弘法大師について
空海(くうかい、宝亀5年6月15日(774年7月27日) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、「弘法大師(こうぼうだいし)」の諡号(醍醐天皇、921年)でも知られる日本真言宗の開祖。俗名は佐伯真魚(さえき・の・まお、佐伯眞魚)。最澄(伝教大師)とともに、旧来のいわゆる奈良仏教から新しい平安仏教へと日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置し、中国から真言密教をもたらした。書道家としても能筆で知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。

延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇より「弘法大師」の諡号が贈られた。
最初は「本覚大師」の諡号が贈られることになっていたが、「弘法利生」(こうぼうりしょう)の業績から、「弘法大師」の諡号が贈られることになった。

弘法大師、それは「空海」を越え、千年の時を越え、普遍化したイメージでもある。歴史上、天皇から下賜された大師号は全27名におよぶが、一般的に大師といえばほとんどの場合弘法大師を指す。空海を知らなくても「弘法さん」「お大師さん」を知る人は、ある年齢から上の人びとには多いと言えるだろう。

真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定は死ではなく禅定に入っているものとする。高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じ、「南無大師遍照金剛」の称呼によって宗祖への崇敬を確認するのである。

故郷である四国において彼が山岳修行時代に遍歴した霊跡は、江戸初期の真念によって札番号を付けてまとめられ、俗に言う四国八十八箇所の寺々他多くの霊跡として残り、それ以降霊場巡りは幅広く大衆の信仰を集めている。

石段を登って行くと小さな祠があります。

境内入り口左側に石碑が立てられている。

境内も整頓されて綺麗です。

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