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八上王子

八上王子跡は上富田町岡字中島の、県道山際にあり、この王子は鎌倉時代初期の建仁元年(1201)、後鳥羽院の熊野御幸に供奉した、藤原定家の日記(熊野御幸記)に、「ヤカミ王子」とあり、古くから崇敬されていた。また、歌僧で有名な西行法師が

まち来つる八上の桜咲きにけり

あらくおろすなみすのやまかぜ

と詠んだのもこの社頭で、境内の一隅にその歌碑が建てられている。
南北朝時代に入ると熊野参詣道も三栖より潮見越えとなり、熊野詣での風習もいつしか下火となった。しかし、この地の住民には八上神社に対する崇敬の念が厚く、よく護持したので、熊野九十九王子社のうちでも、最もよく神社の形態が保たれていて、ひろびろとした境域には杉・檜の古木が茂り合い、往時の盛観がしのばれる。
なお、萬野美術館に「西行物語絵詞」という絵巻物が所蔵されている。これは和歌を入れた叙情的な物としたもので、土佐経隆の筆とされ鎌倉中期のものである。
尚この絵巻の第四段に、西行法師が八上王子の前で、板垣に歌を書きつけようとする姿がえがかれている。
                            参考文献:『上富田町史』

最初の鳥居を潜り石段を登ると、また鳥居と石段があります。

石段と石段の間に西行法師の歌碑がある。

石灯籠も幾年月風雨に耐えて来たのか。

石段を登りきると、祠が目に入って来る。

祠の窓から中を覗いてみた。

この石碑も何か書いている(調査中)。

06/11/23 八上神社の獅子舞はここを
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